腹切るくらい安いもの…山本権兵衛の政治使命と「臥薪嘗胆」エピソードを紹介 (2/7ページ)
要するに「本当は自分のものにしたかったから、大義名分(きれいごと)をたてに言いがかりをつけた」のですが、そんな露骨な嫌がらせを受けても、日清戦争で疲れ切っていた日本には、それに報復する(そもそもそんな事をさせない)だけの力がなかったのです。
当時(19世紀末)は弱肉強食の帝国主義が世界中に蔓延しており、力がないまま下手に戦争を起こせば、たちまち滅ぼされてしまうのが国際常識でした。
奴隷貿易。19世紀の版画。
かと言って、大国のご機嫌とりばかりしていれば、アジアやアフリカ、ラテンアメリカ諸国のような搾取と弾圧の未来が待つばかり。
死にたくはないし、奴隷にもなりたくない……それなら力を蓄えて国の平和と独立を守るよりありません。話し合いをしようにも、力無き者の理想論など、誰も聞いてはくれないのですから。
かくして日本国民は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん※)」をスローガンに、コツコツと国力を蓄えていくのですが、海軍では「六六艦隊計画(ろくろくかんたいけいかく)」が進められることになるのでした。
(※)がしんしょうたん:「薪(たきぎ)に臥(ふ)し、胆(きも)を嘗(な)める」と読み、自らを痛めつけることで悔しさを忘れず、ついに志を遂げたエピソードから、ここでは「いつか必ずロシアに勝つ!」という日本国民の合言葉となりました。
「おいとおはんで、腹ァ切り申(も)そ」さて、海軍が進めていた六六艦隊計画とは、ごくざっくり説明すると「明治二十九1896年から同三十八1905年までの10年間で、戦艦6隻+装甲巡洋艦6隻+サポート艦艇多数を揃える計画」で、計画の目玉となる戦艦と装甲巡洋艦が6隻ずつなのでそう呼ばれたのでした。