さやわか、名探偵コナンのように平成の真実を解き明かす (2/8ページ)
昭和の時代であれば、典型的な日本人像というものが存在しました。同じような家族構成で、同じように育った日本人が、同じ事件を体験し、だいたい同じような感想を抱いた、と言ってもよかったのです。
ところが平成だと、社会がどんどん多様化し、細分化して、型にはめて話すことができなくなりました。たとえば日本全体にとっての大事件だった2011年の東日本大震災について考えてみても、日本人すべてが同じ気持ちで体験し、同じ感想を持っているとは言いがたいのではないでしょうか。震災に限らず、こういうことは生活や文化、政治など多くの領域で起こっています。
しかし、僕はついに「平成」を語るヒントを見つけました。それが『コナン』なのです。
では、なぜ『コナン』なのか。
この作品が連載開始したのは1994年の1月。新年と共に『サンデー』誌がはじめた、「新連載大攻勢」の第二弾という位置づけでした。
さて、この連載第1回。序盤で主人公の高校生探偵・工藤新一は、ガールフレンドの毛利蘭に、次のように問われます。
「でも、なんで探偵なのよ? そんなに推理小説が好きなら、小説家になればいいのに…」
この質問に対する新一の返答こそが、僕がこの本を書こうと思ったきっかけになるものでした。
新一は「オレは探偵を書きたいんじゃない…」と答え、続けてこう言ったのです。
「なりたいんだ!! 平成のシャーロック・ホームズにな!!」
右の台詞が掲載された1994年は、平成6年。まだ元号が昭和から平成に変わってから、間もない時代でした。
しかし、それから25年が過ぎました。僕がこの文章を書いている今は2019年。平成31年。平成最後の年です。新一は「平成の」シャーロック・ホームズになりたかったのに、もう平成が終わっちゃうよ、と、思わずツッコみたくなります。
まあ連載25年を経ても、いまだに新一が「平成のシャーロック・ホームズになれた!」と言わずにいるのは、『コナン』が大ヒットして物語が終わらず、ついに平成のほうが先に終わってしまったせいです。喜ばしいことなのです。それに対して、ツッコミするのは無粋でしょうね。
しかし、そこまで考えてから、僕は気づきました。