田中角栄「名勝負物語」 第六番 竹下登(4) (2/3ページ)

週刊実話


「大臣として首相官邸の総理執務室によく顔を出していたが、いろいろ話をし終わって退室しようとすると、竹下さんからこんな声がかかるんだ。『中山さん、だいぶ忙しいようだけど、体には気をつけてくださいよ』と。ちょっとした一言だけど、周りの閣僚経験者に聞いても、こんなことを言う総理の名は、一人も出てこなかった。巧まず、相手をホロッとさせる名人だった。仕事で成果を出しても、自己宣伝は一切なし。『汗は自分で、手柄は人に』の言葉を聞いたことがあるが、凄い人だった」

「老人キラー」も、竹下の得意手だった。年寄りというのは、どんな社会、いつの時代でも寂しいものだ。かつて、どんなに脚光を浴びた人物でも、寄る年波から往時のように人は寄って来ない。国対副委員長当時、竹下はとりわけ用もないのに暇を持てあましているようなベテラン、長老議員をひょいと訪れ、ひとしきり雑談に興じてくるのである。当時の佐藤派古参議員が、次のように言っていた。

「与野党問わず、長老議員などのところへ、よく顔を出していた。そういう長老は、『この前、竹下クンが来たが、彼は勉強している。竹下クンは伸びるぞ』みたいなことを必ず誰かにしゃべる。それがまた、党内の実力者にも伝わり、やがて『竹下を使ってみようか』となるわけだ」

★政治的直感力の天才
 こうして竹下は、はいつくばるようにして天下取りへの階段を登っていった。前号で記したように、あの屈辱的な元日年始の田中邸「門前払い事件」なども、はさみつつである。

 その「門前払い事件」から10カ月後の昭和62年12月、竹下は時の中曽根康弘首相による後継指名を受け、総理のイスに座った。しのびにしのび、我慢に我慢を重ねたうえでの戴冠であった。

 しかし、竹下は関与したリクルート事件への責任を取るかたちで、わずか1年半余で首相退陣を余儀なくされた。退陣から半年ばかりしたあと、筆者は竹下に、いま田中との関係などを改めてどう思っているか、ただしてみたものだ。竹下はじつに淡々と、次のように答えてくれた。

「田中先生からは政治そのものについてだけでなく、『役人の入省年次は覚えなきゃダメだ。役人を使えない』など、いろんなノウハウを直接、間接に教えていただいた。すべて、役に立ちました。
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