徳光和夫「我が愛しの長嶋茂雄とジャイアント馬場」 (5/6ページ)

日刊大衆

高校2年生のときに観た慶立戦で、当時の大学野球新記録である8号ホームランを放って三塁ベースを小躍りして回る長嶋さんを観て、“この人の後輩になりたい”と思ったんです。その後、補欠合格ながら立教大学に入ったことが、人生の出発点ですから。日本テレビ入社1年半で、先輩から“ミスターに憧れて立教大学に入って、日本テレビのアナウンサーになった徳光”と紹介されたとき、長嶋さんの“そう、頑張ってね!”というハイトーンボイスは、いまだに忘れられないですよ」

――そうした“長嶋愛”が、1980年に長嶋さんが巨人の監督を辞めたときの、徳光さんの名スピーチにつながったわけですね。

「僕は『ズームイン!!朝!』の司会をしていたんですけど、プロデューサーから“15分あげるから長嶋さんのことを語ってほしい”と言われまして、 “これは辞任ではなく解任だ。今後、読売新聞は読まない。報知新聞はとらない”とオンエアで宣言したんです。長嶋さんは私がクビを懸けて話していると思ったらしく、後日食事に誘っていただいて、“何かあれば力になるから”と言っていただいたんです。それから、交流させていただくようになったんですけど、“親しき中にも礼儀あり”という言葉を胸におつきあいをさせていただいています」

■プロレス中継に回されてアナウンサーを辞めようかと

――ジャイアント馬場さんについても、お聞きしたいです。

「日本テレビ入社後、長嶋さんの一挙手一投足を実況すること以外は考えていませんでしたが、プロレス中継に回されてしまったんです。そのときは、アナウンサーを辞めようかと思いました。そんな私にプロレスの魅力を気づかせてくれたのが、馬場さんでした。馬場さんは話すことの一つ一つに哲学を感じさせるんですよ。彼は歴史小説を乱読していまして、よく世間で話題になっている人を歴史上の人物に置き換えて話していたことを覚えています。また、馬場さんには“馬賊になって満蒙の地を駆けめぐりたい”という夢があったんです。私が“馬に乗れないでしょう”と言うと、“そうだよな”と笑っていましたけどね(笑)」

――冗談を言い合える仲になったんですね。

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