美空ひばり没後30年、知られざる「不死鳥お嬢伝説」 (3/5ページ)

日刊大衆

『週刊大衆』の連載『満天の夢』でもおなじみ、伝説のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の経営者・山本信太郎氏は振り返る。

「あるとき、ひばりさんが店に来てくれたことがあったんです。その日は雪村いづみさんのショーが予定されていたんですね」

 旧友への表敬訪問は、アポなしだったようだ。

「ところが、雪村さんは体調が悪く、ショーを早めに切り上げ、すでに帰宅していたんです。ひばりさんは残念がりながらも、急遽ステージで歌ってくれることになりまして」(前同)

 選曲が粋だった。自分の曲ではなく、江利チエミの『テネシーワルツ』や、ジャズのスタンダード曲を数曲チョイスしたのだ。雪村いづみの代わりに、美空ひばりが、江利チエミの曲を歌う……。

 その晩、たまたまニューラテンクォーターに足を運んだ幸運な客のみが堪能できた至高のステージだった。「クラブ経営者冥利に尽きる体験でした」(同)

 また、ひばりは石原裕次郎王貞治ら昭和の大物スターとの交友もあった。

 山本氏によれば、勝新太郎も彼女をかわいがり、その歌を愛したという。「僕が、お店の30周年公演に誰に出てもらおうかと考えていたときに、勝さんに相談したら、答えは“兄弟、そりゃ、ひばりちゃん以外にいないよ”でした。それで僕も、実現に向けて準備を進めたんですが……」

 1987年(昭和62年)4月、ひばりは極度の体調悪化を訴えて入院。プランは幻に終わった。

■家族との絆

 ひばりを語るうえで、家族との関係を抜きにすることはできない。

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