美空ひばり没後30年、知られざる「不死鳥お嬢伝説」 (5/5ページ)

日刊大衆

それでも、ひばりさんは弟をかばい、自ら苦しい状況に追い込まれます」(同)

■ひばりを襲った不運とは

 全国の公会堂やホールから締め出しをくらい、マスコミにも叩かれ、NHK『紅白歌合戦』からも追放される。70年代はヒット曲も途切れ、つらい時代となった。

 前出の山本氏は、そんな時代のひばりと会っている。

「当時、お住まいになっていた赤坂のマンションにお邪魔したり、勝さんを交えて食事をご一緒したことがありました」

 どんな様子だったのか?

「どこか寂しそうでね。僕の肩のあたりに手を当てて“山本さんも大変なお仕事ね。哲也(益夫)と同じで突っ張ってやってこられたのね”とおっしゃって。僕のほうが年上なんですが、優しいお姉さんのような印象がありました」

 暗黒期といえる時期のひばりを救ったのが、益夫の長男である加藤和也氏(現・ひばりプロ社長)だ。彼女は、幼い甥を養子に迎え、溺愛したのである。

「精神的な面で、和也さんの存在は本当に大きかった」(西川氏)

 ただ、心の支えはできたものの、アルコールの量は減らなかった。

 さらにつらい出来事が続く。80年代になると、最愛の母が他界(81年)。さらに戦友的存在の江利チエミが45歳で急死(82年)。追い打ちをかけるように、弟の益夫(
83年)と武彦(86年)が、ともに42歳の若さで死亡。女王の孤独は、ますます募っていった……。

 輝かしい活躍の裏で、孤独を抱え続けた美空ひばり。この続きは、現在発売中の『週刊大衆』6月17日号をチェックだ。

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