「みんなと一緒」すぎる大学生たちと、とある大学6年生の遠回り #大学1年生の転び方 (3/5ページ)
学びの場に戻ってきたことは歓迎すべきですが、どんな気持ちで連絡先を全消ししたんですかね。遊び友達とは言えど、交友関係って、自力で作り上げる「財産」のようなもの。それを消しちゃうなんて、苦しくはなかったんでしょうか。
決断力がハンパない。意思が強靭。やっぱり、友達めっちゃつくったり、それを全て捨てたり、ひとつひとつの行動に中途半端さが一切ないのが、この方の魅力ですよね。なんでこういう大人に育ったんだろう。どんな子ども時代だったのかな。
ああもう、質問がいっぱいですよ。これだから、遠回りしてきた人たちは素晴らしいのです。ちやほやするつもりはありませんが、やっぱり独自のルートで歩いている人からは、いろいろなことが学べるもの。同い年じゃないというだけで敬遠するなんてもったいなさすぎます。
自分の知らない世界を旅してきた人とは大いに関わるべきです——もし旅人の側が受け入れてくれるなら、という前提はもちろんありますが。
浪人生・留年生が遠回りしてきたエピソードを話すことは、そうした経験を持たない者にとっては大いなる学びになり、その一方で、当事者にとっては、自分を知って受け入れてもらう第一歩となります。ですので、どうせなら、卑下ではないモードで、遠回りエピソードを話してほしいんですよね。例えば今回のお便りのように、淡々と話してくれたら最高です。

知らず知らずのうちに「均質であること」を是としてしまう教育空間に多様性という名の亀裂を入れるべきだというのが、わたしの考えです。その亀裂をきっかけに、浪人も留年もしていない、傍目にはごくふつうに見える学生さんが、自分の中に秘めたマイナー性について語ってくれることもあったりします(そうした瞬間に立ち会えたとき、教員をやっていて本当によかったなあと思います)。
教室とは案外、多様性に満ちたものです。それを知っておいた方が、人生はきっと楽しいですよ。