京都府舞鶴市、ウズベキスタン共和国のホストタウンになった軌跡を追う。舞鶴引揚記念館の企画展「ウズベキスタン抑留~抑留から交流へ~」9月30日(月)まで開催中! (3/8ページ)
このほか、日本人抑留者がウズベキスタンで抑留中に使用していた帽子、防寒着、ブーツ、火打石のセットなどの生活用品(現物)や、現在もナボイ劇場の壁に掲げられている『ナボイ劇場の建設に日本人が参加し、完成に貢献した』と刻まれたプレートを再現した実寸大のレプリカなどを展示します。
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《ウズベキスタンと舞鶴市の“繋がり”》
昭和20(1945)年の終戦当時、古くからシルクロードの中心地として栄えていた旧ソビエト連邦領のウズベキスタン(1991年に独立)は、満州(中国東北部)や南樺太などから強制連行された日本人の軍人・軍属の抑留地のひとつで、約2万5,000人の日本人が抑留されました。
首都・タシケントの収容所「第四ラーゲル」に収容された457名は、日常的な飢えと寒さに耐えながら1,500名収容の「ナボイ劇場」(正式名称:アリシェル・ナヴォイ国立オペラバレエ劇場)の建設に従事したのち、昭和23(1948)年、現地で死亡した2名を除く455名が舞鶴港に帰還し引き揚げてきました。