ビートたけし「謹慎中に十億使った」超大物芸能人と週刊大衆「お宝秘話」プレイバック! (4/6ページ)
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国民的英雄・力道山は、63年10月17日号に見参。当時、38歳の力道山は、4か月前に日航の客室乗務員だった17歳下の女性と結婚したばかり。“来年3月に子どもが生まれる”との一部メディアの報道を笑いながら否定した。「往生したぜ。(中略)もし、本当に子どもが生まれるんだったら、“これはオレの子じゃないぞ”と女房に言ったんだ。“わたしもそう思う”だってさ」
思い当たる行為はないと断言。では、最初にしたのは?「はっきりした記憶はないが、新婚旅行中だよ」
“婚前交渉しない派”の力道山はこの年、翌年に迫る東京五輪のために1000万円の寄付をしている。「苦労してかき集めた。足りない分は借金してまわったし」
だが、この記事の約2か月後に赤坂のクラブで刺され、7日後に死亡。終戦後の日本を勇気づけたスーパースターは、復興の象徴的なビッグイベントを見ることができなかった。
■北島三郎や吉永小百合も
歌謡界の大御所・北島三郎は、91年1月21日号で、師匠である船村徹(作曲家)と対談した。サブちゃんは船村の内弟子時代を振り返る。「必死の思いで師匠について行ったものです。もっとも、ショーの前座に歌謡漫談をやらされたときは、さすがに師匠を恨みましたけどね(笑)」
なお、船村が命名した、もう一人の弟子との漫才コンビ名は『ゲルピンちん太ぽん太』というものだった。「船村さんが考えた漫才のネタは、客にまったく受けなかったとか。