森鷗外にとって「サードプレイス」だった小倉時代の墓所探訪 (5/6ページ)

心に残る家族葬



しかしそこで鷗外は、同じように、慣れない土地である福岡の太宰府に流された菅原道眞のように、「非業の死を遂げた悲劇のヒーロー」さながらに、小倉で鬱々と暮らしたまま、生涯を閉じることはなかった。「中央」に復帰し、高位の軍医のみならず、大文豪としての人生を全うした。自分の「不幸」に酔いしれ、そのまま自滅するのではなく、そこから新たに生まれ変わる底力を身につけることができたのが、まさに鷗外の小倉時代だった。

そうした意味においては、鷗外が小倉時代に行っていた様々な活動とは、アメリカの都市社会学者のレイ・オルデンバーグが言う、人間の活動において、家を「第一の場所(first place)」、学校や職場を「第二の場所(second place)」として、日々過ごしているものの、「第一の場所」とも「第二の場所」とも違う、「とびきり居心地よい場所(the great good plece)」である、「第三の場所(thid place)」を獲得することができたとも言えるのだ。

オルデンバーグが言う「サードプレイス」とは、昔ながらのイギリスのパブや、フランスのカフェテラスなど、人々が気楽に集うことができ、しかもそこでは、「第一の場所」や「第二の場所」で重要視されている社会的地位や立場を超えて、交流の場を持つことができることの重要性を説いているものだ。しかも「サードプレイス」は単なる「交流の場」を超えて、地域そのものを、「サードプレイス」を通して活性化させる力をも有しているという。

筆者は、人と「交流」はもちろんのこと、話すことすら苦手ならば、または、「それどころではない」心身の状態であるなら、無理をすることはないと考える。しかし、「第一の場所」や「第二の場所」ではない、自分なりの「第三の場所」で静かに時を過ごすだけでも、気持ちの上でも違うのではないか。

傍目には「フラリーマン」だったり、鷗外が行ったような「墓所探訪」でも構わない。何の義理もしがらみもなく、自分が自分らしくリフレッシュでき、日々縛られている様々なことから解き放たれる「場所」を持つことが、人間には大事なのだ。
「森鷗外にとって「サードプレイス」だった小倉時代の墓所探訪」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る