歌舞伎や寄席、相撲でよく見る「江戸文字」実は呼称もデザインも全て違う。正しくはなんて言うの? (2/5ページ)

Japaaan


歌舞伎の看板や番付など人の目に触れる宣伝媒体以外にも、俳優が使用する台本や楽屋表示などにも使用されています。しかし台本にも使用されるようになったのは、河竹黙阿弥(1816年‒1893年)以降といわれています。

寄席の寄席文字は「橘流」

寄席で使われるのは「橘流」、通称寄席字と呼ばれます。元々は寄席を集客するためのビラに使われた文字、「ビラ字」が起源です。

寛政10年(1798)、岡本萬作という者が、神田豊島町藁店に「頓作軽口噺(とんさくかるくちばなし)」の看板を掲げ、議席(寄席場)を開きました。そして風呂屋や髪結床など人の集まるところにビラを貼り、宣伝したことが始まりといわれています。

時代は下がり天保年間(1830‒1844)、神田の紺屋(染め物屋)職人の栄次郎が筆の立つことから、勘亭流と提灯文字を元にビラ固有の書体の元を作ったとされています。

その書体は通称ビラ清(粟原孫次郎)、二代目ビラ清、初代ビラ辰、二代目ビラ辰と呼ばれた者たちに脈々と受け継がれていきますが、震災や戦災により伝統は一時途絶えてしまいます。

復興に尽力したのは東京の浜松町出身の落語家、橘右近

「歌舞伎や寄席、相撲でよく見る「江戸文字」実は呼称もデザインも全て違う。正しくはなんて言うの?」のページです。デイリーニュースオンラインは、江戸文字フォント・日本語フォントデザインカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る