「愛情表現を欲しがる人ほど、自分が愛情表現していない」の法則 (1/2ページ)
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恋愛アップデート計画
今回は、少し厳しめの口調で参りたいと思います。それだけ「愛情」に関しての捉え方を間違えて欲しくないという思いが私にはあります、
「もっと好きって言ってほしい、もっと構ってほしい、時間を作ってほしい。恋人なんだからそれぐらいやって当然でしょう?」
彼氏に対してもしそんな風にちょっとでも思っていたとしたら、その思いは間違いなく叶わなくなると思ってください。
愛情の表現の仕方は人それぞれで、愛しているからこそ怒鳴ってしまうこともあるし、愛しているからこそ見放していたりもするので、その時その瞬間にはその愛情に気づきにくいもんなんです。
「与えられている」と認識されるようでは、それは愛情ではありません。本当の愛情は、振り返ってみた時に「あぁ、私って愛されていたんだなぁ」と感じるものです。親が子どもに与える絶対的な愛情なんかがそうですよね。
愛情を注ぐ側が、「よっしゃ愛情注ぐぞー!」と思いながら愛を与えているかと言えばそうではないですよね。結果として与えてしまっているものなんです。
Mr.Childrenの歌詞に「愛はきっと与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの」という歌詞がありますが本当にそうで、愛が「与えられるもの」あるいは「与えるもの」だという認識は捨てた方がいいです。
愛情を誰かに表現してもらわないと気づけないというのであれば、それは表現していない側が悪いのではなく、感じられない側が悪いのです。
また愛情表現を欲しがる人ほど、相手に愛情表現していない傾向にあります。本人は「好きだ」と何回も口にしていると言いますが、それは相手に「好きだ」と返して欲しくて言っているのであって、見返りの求めない愛情表現ではありません。
もし見返りの求めない心からの愛情表現をしているなら、そもそも「愛情表現してほしい」なんてことを思わないはずだからです。