方言は悪いことば?かつて鎌倉で行われた言葉狩り「ネ・サ・ヨ運動」の黒歴史を紹介 (2/6ページ)

Japaaan

デンと打ち座るニュアンス)
ヤツ(谷。主に地名に用いる)
ヤト(谷戸。谷間の主に湿地帯)
ヨコハイリ(割り込み。横入り)
ワリカシ(意外と。割と)

他にもサミィ(寒い)、ハエェ(早い)、ヘェル(入る)などの訛りが見られますが、意思疎通に特段の支障もなく、色んな方と会話できているつもりです。

しかし、広い世の中にはこんなささやかな違いが許せない人たちもあったもので、今回はかつて鎌倉で行われた「言葉狩り(方言追放運動)」の歴史について紹介したいと思います。

新旧住民のカルチャーギャップ

鎌倉は幕府が滅亡した後も東国の要衝として重視されてきましたが、やがて江戸時代に入ると将軍様(江戸)の喉元に刃を突きつけるような軍事≒叛乱拠点があってはたまらないとばかりに放置され、半農半漁の寒村として寂れていきました。

幕末期の鎌倉。現代ほどの賑わいは見られない。Wikipediaより。

そんな鎌倉が再び脚光を浴びるようになったのは明治時代以降、都心からのアクセスの良さと風光明媚で過ごしやすい自然環境が東京都民の別荘地として注目されたためです。

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