源義経は複数いた?美男子ではなかった?日本各地に残る義経伝説の実情とは (2/3ページ)
すると、平家軍は船から熊手を伸ばし、義経の兜にひっかけ馬から落とそうとしました。大将の義経は源氏の兵に守られましたが、弓をうっかり海の中に落としてしまいました。
義経が鞭を使って弓を拾おうとすると、平家軍は熊手で義経をひっかけようとしました。これを陸で見守っていた源氏の武将たちは、「弓はそのまま捨てて、お引き上げなされ」と声をかけました。ところが、義経は聞かず、必死になって弓を取ろうとして、ようやく拾い上げるという有様。ことのなりゆきを最後まで見守っていた武将たちは、気が気でなかったはずです。
義経は小柄で、弓を弾く力も弱かったと伝わります。そのため義経の矢は貧弱なものでした。義経は、その弓を平家の軍勢に拾われて嘲笑されることを嫌がり、必死に探したのだといいます。
頼朝から冷遇されたことも、義経フリークからすると義経に嫉妬した頼朝による「いじめ」のようにも思えますが、実際は義経が後白河法皇の口車に乗せられて、結果的に頼朝の統制に従わなかったことになってしまい、処罰されたことは自業自得だとする指摘もあります。義経は、戦上手ではあったものの、政治家としては無能だったと考えられます。
義経は美男子ではなかった?そもそも義経は美男子ではなかったのでは?という声も聞こえてきています。義経美男子説の根拠とされる1つとされるのは『義経記』であり、そおんあかで牛若(丸)こと義経は、器量も容貌も不足がなく、非常に色が白く、鉄漿に薄化粧して眉が細く、被衣をかぶって潜んでいる姿は松浦佐用姫や楊貴妃のようだと記されています。
松浦佐用姫は夫が百済に行く際、別れを惜しんで山上で領巾を振り、石になったといわれる伝説の美女のこと。つまり、義経は幼いころから色白の美女のように美しかったということです。
ところが、『平家物語』に記された義経の容貌は、『義経記』とだいぶ異なります。そのなかで義経は、「色が白く、背が低く、前歯が2つ出ていた」と記されています。色は、白かったようですが、美男子だったとは思えません。さらに、『源平盛衰記』にも「顔が長くて、身長は短く、色が白くて歯が出ている」と記してあります。
3つの文献から確実にいえそうなのは色が白いことだけ。