古代エジプト人の死生観はナイル河の存在なしには語れない (2/3ページ)
真実を見抜く女神、マアトの羽根飾りと心臓が天秤にかけられるのだ。死者の告白が真実の場合は釣り合い、嘘偽りの場合は心臓が重く傾く。釣り合った心臓は無事来世に行くことができるが、重く傾いた心臓は天秤のそばに控えたアメミットという幻獣に食べられてしまう。心臓を失った死者は、もう来世での再生ができない。そこには天国も地獄もなく、ただ「二度目の死」が訪れるのである。
■来世の世界
ではその長い試練の道のりを経てたどり着いた先には何があるのか。来世で死者が過ごす場所として特によく描写されるのは「葦の野」と呼ばれる土地である。鉄の壁で厳重に守られたこの土地は、魚も蛇も棲まない水路があり、水路の岸辺には重たげな果樹がなっている。畑では人の背丈の倍ほども伸びた小麦が長さ1メートル以上の穂をつけて収穫を待っている。この理想化されたナイル河谷こそ、古代エジプト人が夢見た来世の姿である。さらに、葦の野には集落があり、家族や友人、雇っていた召使いまでが再び出会える場所であった。死者はここで飲み食いから娯楽に至るまで生前に行っていたあらゆることが出来ると考えられていたのである。しかしこの葦の野には、「供物の野」という別称がある。来世にやってきた死者には、それぞれ等しい面積の畑が分け与えられ、神々に供物を捧げることが義務づけられていたのである。私たちが来世と聞いてイメージするのは、現世の様々な労苦から解放された天国や極楽といった楽園だが、古代エジプトにおける来世には、労働の義務が存在しており、その決まり後を見る限り、古代エジプトの来世のイメージは我々日本人とは少々異なっていたようである。
■埋葬から見る来世への強い願望
古代エジプトでは、人間は死後、肉体と二種類の魂に別れると言われていた。肉体と分離した魂は審判を経て、肉体へ戻ってきた後に再合一し、再び肉体に宿るというのだ。こうして再生が行われるわけだが、魂が帰還しても器の肉体がなければ再生には至らない。そこで肉体の保存のために考案されたのがミイラである。ミイラは、エジプトのような乾燥地帯の環境下では永久的に形を保つことが出来る。医術が進んでいることで名声を得ていた古代エジプト王国には、それだけの技術があった。