古代エジプト人の死生観はナイル河の存在なしには語れない (1/3ページ)
古来より日本では、死後の世界というものが信じられてきた。悪人は地獄に落ち、善人は極楽へたどり着くというものだ。これは仏教が生んだ思想だが、遙か昔、古代エジプトにもそういった考えがあった。古代エジプトでの当時の平均寿命は20歳から25歳。地上での人生があまりにも短かったことから、来世に第二の人生が用意されていると夢想したのかもしれない。この来世での再生をできるだけ確実なものにすることが、古代エジプトにおける埋葬のテーマであった。
■自然環境と死への恐怖
エジプトは国土の95パーセントが砂漠の国である。その中で最も大きいのがナイル河の存在だ。ナイル河は古代エジプト文明の源流であり、その流域に住む人々の生活を支え続けてきた。この河は日々の生活に必要な水を提供するだけでなく、人々の暮らしを豊かにする上でもう一つの役割があった。それが、毎年定期的に起こった増水である。川岸を越えてあふれ出した水は、エジプト全土の耕地を覆っていった。そして、水は四ヶ月にわたって耕地にとどまり、上流から運んできた養分を与え、土壌の中の塩分を洗い流した。水が引いた後の耕地は、種まきに適した土壌になったのである。年間降雨量がわずか数ミリ程度の砂漠気候にあってエジプト文明が成立したのは、ナイル河が存在したからに他ならない。古代エジプト人は、自分たちが恵まれた環境の中で生活していることをよく自覚していた。しかし、満たされた生活には、それを失うことへの恐怖も伴う。古代エジプト人は現世への執着と死に対する恐れを抱き、死の恐怖を克服するための思想を作り上げていったのである。その基礎となったのは、やはりナイル河を中心とした自然環境であった。
■魂の行き先
安住の地にたどり着くために死者は旅をしなければならない。安らぎを得るためにはそれなりの代償を払う必要がある。古代エジプトにおいてもこのような艱難辛苦の思想があった。古代エジプト人の死者が目指す先は、地下世界の支配者であるオシリス神の館であった。死者はナイル河を船で渡り、そこで生前の行いについて審判を受ける。この試練をパスすることが出来なければ来世での再生もかなわなかったのである。最後の審判では、神々に生前の行いについて告白した後、心臓の計量が行われる。