平和の祭典の為に建てた明治神宮外苑競技場には軍靴の足音が響いた…「いだてん」第38話振り返り (1/3ページ)

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平和の祭典の為に建てた明治神宮外苑競技場には軍靴の足音が響いた…「いだてん」第38話振り返り

「いだてん」第38話「長いお別れ」が放送されました。

組織委員会の中心だった嘉納治五郎が亡くなり、田畑らはその意志を受け継いで必ずオリンピックを開催しようと努力しますが……。日中戦争が激化する中、オリンピックボイコットを正式に決定した国まで出てきます。また、新しい競技場を建てようにも、鉄鋼など資材があればまず戦略資材にまわさなければならない。

副島は「売国奴」と呼ばれる覚悟で開催権返上を決め、1940年の東京オリンピックは幻になったのでした。

一方、東京オリンピックが開かれたら出場するはずだった小松勝は、1943年の学徒出陣で徴兵され、満州へ渡ることになります。

明治神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会(1943年)

何の皮肉か、嘉納が平和の祭典オリンピックを開催しようと建てた明治神宮外苑競技場で、平和とはほど遠い出陣学徒壮行会が開かれ、2万5千人(正確な数は記録されていません)の軍靴の足音が響いたのです。

オリンピックで使われることがなかった明治神宮外苑競技場の歴史

「ここでオリンピックをやろう」と建設された明治神宮外苑競技場でしたが、結局ここでオリンピックの競技が行われることはありませんでした。

日本で初めての本格的な陸上競技場は、1915年から造営の計画がスタート。1922年に着工しますが、翌1923年9月1日の関東大震災で一時工事が中断されます。また、当時の物価の高騰のおかげでなかなか工事は進まなかったようです。

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