3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【三】 (3/3ページ)

Japaaan

「旦那、これだけ資材が集まればみんなで乗れる船一艘、何とか造れるんじゃねぇか?」

「うむ……そうじゃな。よし!やってみよう!」

無人島の探索も一通り済ませ、自分たちの生活に必要なインフラもある程度ととのってきた頃、いよいよ長右衛門たちは船の建造に着手します。

もちろん、内地のように十分な資材はありませんが、それでも知恵を振り絞って試行錯誤と創意工夫を繰り返し、ついに6人が乗り組める四反帆(帆の幅約3m)の船一艘が完成したのは、島に上陸してからおよそ50日後の寛文十1670年4月8~10日ごろと推測されています。

完成した船(イメージ)。

「ばんざーい!」

さぁ、船はできました。次はみんなで海亀や魚を目一杯に獲ってその肉を干物にし、保存食を蓄えました。これでしばらくは航海に耐えられるでしょう。

いよいよ出航!長右衛門たちの運命は?

そして、いよいよ出航の時を迎えました。目指すは北西(※北東の誤り)に見える、あの島(現:小笠原諸島・父島)です。

「みんな……準備はえぇか?」

通常の航海であれば、その日の内に渡れる距離です。長右衛門たちの船がそれに堪えうるか否か、まさに「みんなの努力の試金石」と言えるでしょう。

「おぅ……親方、見ていてくれ!」

島の土となった勘左衛門に後ろ髪引かれる者もいましたが、ここで退いては男が廃る。親方に顔向けできません。

「よぅし……野郎ども、帆ぉ上げろ!」

「「「「おうっ!」」」

かくして寛文十1670年4月11日ごろ、勘左衛門の霊に見守られながら、長右衛門たちは島を後にしたのでした。

【続く】

※参考文献:

田中弘之『幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』中公新書、1997年10月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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