いい男を探し疲れた人へ、いい男を“育てる”発想のススメ (2/5ページ)
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なんというか、現代の幸福は、他者から追認されて初めて“幸せ”としての実感を得られるような満足になってしまった気がします。
「いい男」と付き合う。相手はイケメンでハイスペだし将来の不安もなさそうだ。話題のスポット()で匂わせ投稿をすれば、フォロワーから「いいね」までもらえる――。
こうした打算から周りに自慢できる「いい男」や将来も安心できる「いい男」を探そうとする態度は、どちらかといえば“消費者的”であり、ここにすべての間違いがあるような気がします。恋愛はインスタ映えでも保険でもないんですから。
ただ、こうしたアラサー女性にありがちな打算的な選好には、いまや没落途上国と化した日本全体の不安を色濃く反映している印象もあり、ことさら責められるべき性質にも思えません。
とはいえ、こうした状況のなか、消費者的に、あるいは条件検索的に「いい男」を探す発想ばかりに目が曇ってしまうと、ほんとうに「いい男」を見落としてしまうのではないか、その危惧を率直に申し上げたのが冒頭の「もういい男を探すのは諦めろババア」という提言でした。
では、「いい男」を「探す」のではなく、「いい男を“育てる”発想」とはどのようなものでしょうか。
■男の欠点を許容して“育てる”
実は15~16年くらいまえ、半ばヒモのような暮らしをしていました。ひとあし先に社会人になった同棲相手の女の子から毎日1000円程度のお小遣いをもらって、学校に行くふりをしながら部屋に籠ってゲームをしたり、小難しい本を読んではどこに寄せるでもない文章を書いたりしている毎日でした。
いい生活だと思いますか?
どうやら人間は、自分自身の無力感にそう長くは耐えられない仕様になっているようです。いまにして思えばたぶん幸せだったんですが、当時はひねもす井の頭公園のカモを眺めながらひたすら苦しかった記憶があります。