諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(上) (4/5ページ)
ここはかつて父上(平清盛)がいっとき都を移された福原(現:兵庫県神戸市)に再び移り、再起を図ろうぞ」
亡き清盛の跡を継いで平家一門の棟梁となっていた平宗盛(たいらの むねもり。清盛の三男)が京都からの撤退=都落ちを決定。
平家一門は幼い帝(安徳天皇。平清盛の外孫)を連れて京の都を離れますが、その時に清経は法住寺殿(ほうじゅうじどの。後白河法皇の御所)から吠丸(ほえまる)と鵜丸(うのまる)という二振りの名刀を持ち去ったと言われています。
(※ちなみに、この吠丸は「夜になると蛇が啼く=吠えるような音を出す」ため、鵜丸は「庭池から鵜がくわえてきた」ため、その名がつけられたそうです)
しかし、やんごとなき身分の清経が、いくら名刀とは言え他人様の持ち物に執着するとは思えませんが、一体どうしてでしょうか。
その時、当の後白河法皇は平家一門の都落ちを事前に察知し、実質的な人質にされないよう予め御所から脱出。法皇を(人質にしようと)連れ出しに来たものの、しくじってしまった腹いせか、あるいは「これほどの名刀を、物の値打ちも解らない田舎武士どもにくれてやるのは惜しい」と思ったのかも知れませんね。