小説家と声優「表現者」としての違いとは? 平野啓一郎と速水奨が語る小説論、演技論(後編) (3/5ページ)

新刊JP

平野:キャリアの中で声優というお仕事への考え方が発展したり変わったりしたかと思うんですけど、一方で『超時空要塞マクロス』のような長い年月にわたって関与する作品があるときに「今だったらこういう風にこのセリフを言いたいんだけどな」っていう、自分の変化と作品の連続性の間でギャップを感じることはないんですか?

速水:よくあります。端的にいえば、「今だったらもっとうまくできるのにな」とか。ただ、23歳のときに演じた自分と、今、歳を重ねた自分だと、テクニックは増しているかもしれないけれど、若さとかその時もっていた感情をまっすぐ出す部分とかの自然さは違いますよね。今も『スーパーロボット大戦』というゲームでかつてのキャラクターが出てくるんですけれど、新しいシリーズが出るたびにDVDをいただいて「あの時はこうでしたよ」と、参考で自分の声を聞かされるんです(笑)。なるべくそれに近づけてくれということなんですけれど。でも、当時の自分にはかなわないですよね。

――平野さんは自分の昔の作品を書き直したいと思うことはあるんですか?

平野:あまりないですね。文庫化や新装版が出る時に読み返すことはありますけど。ただ、今、速水さんがおっしゃったのと同じで、もちろん若い時のものって未熟なところもありますけど、今じゃ書けないなっていう表現もあるんですよね。自分で言うと変だけど、感心することもあって。「文章がキレているな」とか(笑)。

でも、それがプロとして仕事をしていくことなんじゃないかという気もしています。僕、昔バンドやっていた時のテープを聞くと恥ずかしいんですよ。でも作家になってデビューしてからのものを読んでも、客観視して読んだりすることもできて恥ずかしいという感覚はないんです。いろいろなことで「若いときのものは恥ずかしい」と思うことが多いんだけど、小説に関してはそういう感情は湧いてこないんですよね。それは仕事として成り立っていることだからかもしれない。

■小説家と声優の「表現者」としての違い ――プロだからこそ過去も含めた自分を受け入れられるということですね。
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