織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【中】 (2/4ページ)

Japaaan

秋山伯耆守虎繁。芳員「武田二十四将川中嶋諸将図」より。

「その方らに勝ち目はない!城兵の命は安堵(≒助ける)申すゆえ、潔く降られよ!」

主君の天下取りに際して、緒戦から無駄な血を流したくなかったのか、あるいは城主が女子供だからと侮ったか、虎繁はまず艶たちに降伏を勧告します。

しかし、艶たちは気丈に抗戦する旨を回答。戦いの火蓋が切って落とされました。

岩村城は後世「日本三大山城(あと二つは高取城、備中松山城)」に数えられるほど堅固な要害であり、また別名を「霧ヶ城」と呼ばれるほど多く発生する濃霧も活かして、艶たちは断続的な奇襲攻撃を繰り返し、大いに武田軍を悩ませました。

かくして籠城戦は年をまたいで1ヶ月以上にわたり、艶たちは亡舅・遠山景前(かげまえ)の雪辱(※)を果たすと共に、遠山家の面目を大いに施したのでした。

(※)弘治元1555年に武田信玄が岩村城を攻囲。遠山景前がその軍門に降って以来、遠山家は武田家に臣従していました。

「織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【中】」のページです。デイリーニュースオンラインは、秋山虎繁遠山景任おつやの方女城主戦国武将カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る