織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【中】 (1/4ページ)
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織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【上】尾張の戦国大名・織田信長(おだ のぶなが)の叔母である艶(つや。おつやの方)は、政略結婚によって東美濃の岩村城主・遠山景任(とおやま かげとう)に嫁ぎました。
西は信長、東は武田信玄(たけだ しんげん)の板挟みになりながらも両雄の間(甲尾同盟)を取り持ち、辛うじて平和を保っていましたが、夫・景任の死によって状況は一変。
東美濃の制圧を目論む信長は岩村城に軍勢を派遣し、自分の五男・御坊丸(ごぼうまる。後の織田勝長)を遠山家に養子入りさせます。
まだ幼い御坊丸に代わって養母の艶が城主を務めますが、信玄は女子供の治める岩村城の手薄を衝こうと、天下取り(上洛作戦)の第一歩として兵を差し向けたのでした。
1ヶ月以上にわたる籠城戦元亀三1572年10月、武田家の侍大将・秋山伯耆守虎繁(あきやま ほうきのかみとらしげ)の軍勢が岩村城を攻囲。
