織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【下】 (2/6ページ)

Japaaan

皆の命を救うため、亡夫・景任への未練を断ち切って虎繁の妻となる決意を固めた艶(イメージ)。

亡夫への貞操と皆の命、そのどちらをとるか悩んだ艶でしたが、自分一人の我慢で御坊丸や皆の命が助かるのなら……と、虎繁に嫁ぐことを選んだのでした。

信玄の死と武田家終焉の序章

さて、艶は元亀四1573年3月に虎繁と祝言を上げ、御坊丸は人質として甲府に連れて行かれました。

しかし信玄は御坊丸を手厚くもてなし、人質ではなく自分の養子として迎えたいと信長に申し出ていることから、御坊丸が利発な少年であったことが察せられます(艶の教育が良かったのかも知れません)。

御坊丸の存在が再び織田・武田両家の鎹(かすがい)となれば良かったのですが、信玄が4月に病没すると、その跡を継いだ武田勝頼(たけだ かつより)は亡き父を乗り越えんとばかりに織田への攻勢を強めました。

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