織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【下】 (5/6ページ)
「……なお、艶殿については女性(にょしょう)ゆえ、ご出家いただいて秋山殿の菩提を……」
「いえ、妾も夫と共に参りまする」
命だけは助けてやろうという信長の意向に背き、艶は自ら夫と同じ逆さ磔を願い出ました。もう二度と、伴侶と離れたくなかったのかも知れません。
「……との由(よし)にございまする」
戻った近習がそう伝えると、信長は健気にも夫に従い、あくまで自分に反抗する艶を忌々しく思ったか「ならば、望み通りにしてくれよう」と長良川のほとりで刑を執行。
天正三1575年11月26日、虎繁は享年49歳、艶は40代半ばと推測されます。
エピローグちなみに、御坊丸は織田家に戻った後に元服・改名して織田勝長(かつなが)と称し、武田家を滅ぼす甲州征伐に参戦していますが、かつて自分を可愛がってくれた信玄たちの思い出が残る甲斐国を制圧する胸中は複雑であったことでしょう。