織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【下】 (6/6ページ)

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滅びゆく武田一族。歌川国綱『天目山勝頼討死図』より。

また、一節には艶と虎繁の間には馬場六太夫(ばば ろくだゆう)という子供がおり、岩村城の陥落直前に逃がされて瀬戸内海の村上水軍に仕えたという伝承が残っているそうです。

六太夫は慶長五1600年9月18日の三津浜夜襲で討死したものの、その墓所は広島県竹原市にあり、近郷には六太夫の子孫が今も暮らしているということです。

そして岩村城址のある艶の地元・岐阜県恵那市では、町おこしのきっかけとして艶たちの功績を顕彰し、その活躍を次世代へ継承する試みが続いています。

【完】

※参考文献:
加藤護一 編『恵那郡史』恵那郡教育会、大正十五1926年
川口素生『戦国軍師人名辞典』学研M文庫、平成二十一2009年
平山優『新編 武田二十四勝正伝』武田神社、平成二十一2009年
木屋青子『馬場六太夫-口伝が明かす波乱の生涯』文芸社、平成十五2003年

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