織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【下】 (3/6ページ)
しかし天正三1575年5月に長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗を喫すると劣勢に立たされ、対する信長は反撃に転じ、嫡男・織田信忠(のぶただ)に岩村城を攻略するよう命令。
かくして同年11月ごろ、虎繁と艶たちは織田の大軍によって完全包囲されてしまいました。
「散る花の美しさは……」虎繁が信長に降伏織田軍はかねてより岩村城の糧道を寸断しており、勝頼からの援軍もままならない中、城内では約3,000の兵が戦う前から飢餓状態に陥っていました。
座して力尽きては武田の名折れ……虎繁らは11月10日、起死回生を期して信忠の本陣に夜襲を仕掛けましたが、織田の猛将である河尻秀隆(かわじり ひでたか)や毛利河内守長秀(もうり かわちのかみながひで)らによって返り討ちにされてしまいます。
この戦闘で、これまで艶に仕えてきた遠山家の一族郎党も遠山五郎友長(とおやま ごろうともなが)や小杉勘兵衛(こすぎ かんべゑ)ら多くが討死。武田方は侍大将21名に1,000以上の兵を失い、完全に戦意を失ってしまいました。
「もはや、これまでか……!」
11月21日、虎繁は使者を立てて織田方に降伏を申し出ると、信忠はこれを快諾。