渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の“仕事人”蟻通勘吾の美学【中】 (3/4ページ)
「天満屋事件」で要人警護の任務を完遂
慶応三1867年12月7日、勘吾は斎藤一や「人斬り鍬次郎」こと大石鍬次郎(おおいし くわじろう)ら6名と共に、紀州徳川藩の公用人・三浦休太郎(みうら きゅうたろう)の警護に当たりました。
三浦は去る11月15日に暗殺された坂本龍馬(さかもと りょうま)と中岡慎太郎(なかおか しんたろう)の仇として、坂本の率いた海援隊(かいえんたい)、中岡の率いた陸援隊(りくえんたい)らの逆恨みを買っていたのです。
※三浦は同年4月に発生した「いろは丸沈没事件」で坂本との賠償交渉で敗れ、紀州徳川藩は膨大な賠償金(83,000両)を負わされたため、龍馬らの暗殺はその恨みに違いない、と断定されていました。
襲撃犯は陸奥陽之助(むつ ようのすけ。