渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の“仕事人”蟻通勘吾の美学【下】 (2/5ページ)

Japaaan

戊辰戦争で各地を転戦するも……

慶応四1868年1月、帝(明治天皇)を奉戴した新政府軍が政権を返上(大政奉還)した旧幕府軍を相手に戦闘を開始。後世に伝わる「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」の火蓋が切って落とされました。

新政府軍に敗れ去る新選組(甲陽鎮撫隊)。錦絵「甲州勝沼驛ニ於テ近藤勇驍勇之圖」明治時代。

新選組はこれまでの恩義によって旧幕府軍に味方し、鳥羽・伏見(現:京都府京都市)の戦いに敗れ、江戸まで敗走した後も甲州勝沼(現:山梨県甲州市)で捲土重来を期した勝負を挑みますが、形勢の不利を悟った隊士たちは次々と脱走。

中には二番組長の永倉新八(ながくら しんぱち)や十番組長の原田左之助(はらだ さのすけ)と言った幹部メンバーまでも新選組を見限る中、勘吾や八十八たちの闘志が萎えることはありませんでした。

とは言え気合や闘志で劣勢を覆すのは難しく、4月3日には局長の近藤勇が新政府軍に降伏(4月25日に処刑)、土方歳三の判断によって新選組は江戸を離れた旧幕府軍と合流。

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