渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の“仕事人”蟻通勘吾の美学【下】 (4/5ページ)
蝦夷地へ渡航する旧幕府軍。この中に、勘吾も写っているのだろうか。Wikipediaより。
新政府軍の追及をやり過ごし、身体が動けるまでに快復した勘吾は大急ぎで北上した土方歳三らに追いつき、10月12日に仙台折浜(現:宮城県石巻市)から出航。新国家を樹立する旧幕府軍の野望を果たすため、蝦夷地(現:北海道)へと渡ったのでした。
しかし箱館(現:北海道函館市)に着くと、ずっと一緒に闘ってきた八十八が別れを告げます。
その理由は京都に残してきた恋人(屯所の近くにあった水茶屋『やまと屋』の娘?)に未練があったとも言われますが、もしかしたら戦争の行く末を悟った土方歳三が、家族や想い人がいる者に対しては、離脱するよう説得したのかも知れません。
「……左様か……名残惜しいが致し方あるまい……達者でな……」
特に身寄りもおらず、また剣術を棄てて生きる術も見当がつかない勘吾は、ここ箱館を死に場所と心得て最期まで闘うことになります。
かくして明治二1869年5月11日、箱館山で新政府軍の総攻撃を防ぎきれず、勘吾は討死したのでした。享年31歳。