「自分はリア充で、小説家としてはイロモノ」 早見和真が考える作家としての自分の位置とは (2/5ページ)

新刊JP

――観客はまったくと言っていいほど描かれていません。

早見:あえて書いていないです。読者が観客の立場であればいいと思ったので。

――前編の冒頭で競馬は1頭しか勝者がいないとおっしゃいましたが、この小説では2着のシーンが最も印象的に描かれています。この「2着」の意味について早見さんはどのように考えていますか?

早見:基本的には勝たないといけないと思います。ただ、次のゲームに勝つために、いかに正しく負けられるか。先ほど言ったようにそこでダサい負け方をしてしまったら、おそらく次もダサい負け方をするでしょう。

ちょっと話が変わるかもしれないけれど、僕はどんなに辛いことがあっても、ヘラヘラと笑って対峙する人が好きなんです。でも、心の中では歯を食いしばって、なんとか立ち上がろうとしている。そういう人を書き続けたいという思いはありますね。

――第一部の主人公馬であるロイヤルホープと、第二部の主人公馬であるロイヤルファミリーの最後のレースのシーンは、「2着」の意味の捉え方において逆と言えると思います。次に向かうものがあるというのは、ある意味で希望ではないかと思いますが、早見さんは「負け」と対峙したときに、次に向かうためにどんなことを大事にしていますか?

早見:僕自身、小説家としては負け続けていますけど、でも、負けて当たり前だという気持ちもあります。天才ばかりですからね。その中でどうやって新しいものを汲み取れるか、ニッチなものを探せるかということは常に考えていますし、あとは文芸誌を読んでいると「これは明らかに書き飛ばしている」と思える作品もあるんです。そこに編集者や作家の怠慢や傲慢さを感じることはありますし、その人たちの首根っこをいつか噛み千切ってやろうとは思っています。

――かなりのカウンター志向ですね。

早見:まあ、業界の中ではきっとイロモノですからね。

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