「自分はリア充で、小説家としてはイロモノ」 早見和真が考える作家としての自分の位置とは (3/5ページ)

早見:語弊があるかもしれないけれど、僕は子どもの頃から一般的に言うところのリア充で、周囲にはいつも人がいたし、両親も善人で、何不自由なく育ってきました。それなのに、そんな環境にずっと違和感がつきまとっていて。
教室の中で居場所がなかった。人と話すことができなかった。そうした怒りやコンプレックスを糧に見返したいという、物語を紡ぐ上での原動力を持っている人たちが、この業界の中でのマジョリティである気がするんです。でも、僕にはそうした強烈な体験がない。それでもこの業界に入ってきたのは、ずっと自分の人生に対して牙を剥き続けてきたからだと思うんです。
この業界で生きていくにあたって、僕はついにマイノリティの立場を手に入れることができた気がします。つまり、リア充であったことで、この世界の中で自分は少数派になれた。今の方がむしろ居場所があるし、居心地もいい。小説家としては底辺に属すると思っているけれど、マイノリティとしての自分を手に入れられたと感じています。
■「この小説が売れなかったら身の振り方を考えないといけない」 ――イロモノとしての自分を手に入れた、と。今、早見さんは愛媛県松山市にお住まいだそうですが、地方を転々としていることも、そういったことと関連しているのですか?早見:それは関係なくて、端的に言えば書くことに集中したいからです。東京を離れて伊豆に行って、そこで6年間、小説を書き続ける生活をしましたが、行き詰まりを感じて。「ニセモノのくせにこんな小説家みたいな生活をしているから、自分はこの程度しか書けないんだ」と痛感して。『イノセント・デイズ』をきっかけにもう一度移住しようと思って松山に行きました。
次の移住先ではリア充としての自分の特性を全開にして、いけるところまでいってみようと。