虚無僧ファッションが何故、江戸庶民に受け入れられたのか?鈴木春信の魅力 その5パート4 (6/6ページ)
『曾我もの』や『助六』では何の咎も無いのに殺害された父親の仇を取るため、曽我兄弟は不遇な境遇の中、艱難辛苦をなめつくした果てに「仇討ち」を果たします。
仇討ちを選んだ者達は、苦労こそすれど何の見返りもありません。「仇討ち」で義を果たしたという達成感はあれど、野の露と消えていく身です。
「仇討ち」を描く作品は、権力から与えられる試練や、人間の内面やその人が生きる社会の姿を映し出しているのです。
江戸の人々は、仇討ちをするため虚無僧となってまで身を隠し、時には義理に悩み、さまざまな苦労を重ねる人の心のひだに自分の心を重ねていったのではないでしょうか。
だからこそ“虚無僧姿が格好いい”と成り得たのだと思います。
鈴木春信は『風俗四季哥仙 卯月』以外でも「伊達虚無僧姿の男女」など他にもいくつか虚無僧姿を描いた作品があります。
関ヶ原の戦いから150年以上が経ち、徳川幕府のもと平和な世の中が続き、武士が戦のために刀を抜くということもなくなりました。幕藩体制が形をなしてきた時期でもありましたが、政治腐敗も進んできた時代でもありました。
鈴木春信は伊達虚無僧が流行る世の中に、江戸の人々の心を見ていたのではないでしょうか。
完。
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