虚無僧ファッションが何故、江戸庶民に受け入れられたのか?鈴木春信の魅力 その5パート4 (4/6ページ)
しかし弟の五郎は、吉原は様々な男の来るところ。喧嘩を売って刀を抜かせて「友切丸」を探していたのです。その刀を持っているのは実は・・・というお話です。
実際に“助六”の衣装と同じく小口の紋付を着流し、鮫鞘の一腰に印籠1つ、下駄を履いて吉原大門を入る人物もいました。両側の茶屋の女房が出てきて、「そりやこそ福神様の御出」と騒いだ故、いつしかこの姿を「今助六」というようになったといいます。
鈴木春信も「風流おどり八景 夜雨の助六」という、春信らしい“助六”を描いた作品を残しています。
江戸の美意識