歴代総理の胆力「田中角栄」(1)「コンピューター付きブルドーザー」の異名 (2/2ページ)
その頃、田中は佐藤栄作総理率いる自民党佐藤派の“台所(派閥資金)”を、一手に面倒を見るなど、佐藤派の実力者であった。ところが、一方に「ポスト佐藤」を窺う福田がいた。福田は佐藤の実兄・岸信介(元総理)の流れを汲んでおり、一方で運輸官僚出身の佐藤は、大蔵官僚出身の福田に親近感も持っていた。「佐藤は結局、福田を後継に推すのではないかと」との声も出ていたのである。すでに「ポスト佐藤」に照準のあった田中としては、気が気ではない。田中の打った手、胸の内は、次のようなものであった。
このまま手をこまねいていれば、総理の座は福田に回ってしまう可能性が高い。それなら佐藤にもう1期やらせ、その間に多数派工作に拍車をかけるほうが得策ではないかと。
結局、田中は自民党内に根回しして佐藤「4選」へのレールを敷き、この間に佐藤派の3分の2を握り、実質的な田中派を作り上げてしまったのだった。佐藤が「沖縄返還」を引き替えに退陣、後継を巡る「角福総裁選」となったわけだが、結果的に佐藤の意向に頼っていた福田は多数派工作で後れを取り、田中陣営の勢いに抗することはできず敗北したということだった。総裁選直前、田中はすでにこう豪語していた。
「オレが負ける戦なんかやるもんか」
■田中角栄の略歴
大正7(1918)年5月4日、新潟県生まれ。二田(ふただ)尋常高等小学校卒業後、16歳で上京。復員後、田中土建工業設立。昭和47(1972)年7月内閣組織。総理就任時54歳。日中国交正常化を実現。「ロッキード事件」で逮捕。最高裁上告中の平成5(1993)年12月16日、死去。享年75。
総理大臣歴:第64~65代 1972年7月7日~1974年12月9日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。