歴代総理の胆力「田中角栄」(1)「コンピューター付きブルドーザー」の異名 (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「田中角栄」(1)「コンピューター付きブルドーザー」の異名

 昭和47(1972)年7月誕生した田中角栄内閣は支持率62%、不支持率10%(朝日新聞)という当時としては驚異的な数字を得ての登場だった。

 時に、田中は54歳と戦後総理として最年少であり、加えてそれまでの総理が官僚出身のエリートだったのに対し、学歴は尋常高等小学校卒、社会の泥水をすすりながらのいわゆる「叩き上げ」の人生の中で掴んだポストだった。これを、国民は「庶民宰相」「今太閤」として、歓呼の声で迎えたということだった。

 もっと言えば、掲げた政策も「日本列島改造計画」であり、新幹線を中心とする鉄道、あるいは高速道を日本全国に張り巡らせ、人口の過疎・過密を解消することを目指した。太平洋と日本海側の経済を中心とするあらゆる格差を是正しようとの雄大、斬新な“切り口”に、大なる期待が込められたものであった。また、前任の佐藤栄作総理が実に7年8カ月の長期に及んでいたため、「官僚政治」ともども、このあまりにもの長期が飽きられていたということが、国民が大歓迎した理由でもあった。

 その田中の政治家像としての特徴は、「日本列島改造計画」を掲げたように、政治家として極めて構想力、発想力、また即断、即決の「決断と実行」ぶりが際立っていた。「コンピューター付きブルドーザー」の異名もあったのである。

 また、「叩き上げ」の中で培った、この人物はいま何を求めているかを嗅ぎ分ける能力、人間洞察力は天才的で、人心収攬術の巧みさも群を抜いていた。これをもって政界、官界、経済界の人脈を日本全国に作りあげ、結果、天下を手にしたと言ってよかったのだった。

 一方で、毀誉褒貶の激しい人物でもあったが、メディアが報じる「国民が興味を持つ歴史上の人物」アンケートでも徳川家康、豊臣秀吉に伍して常にトップ10に入るなど、まさに“歴史上の人物”でもあった。

 さて、その田中は、ライバル福田赳夫(のちに総理)という壁を打ち破って政権の座に就いた。世に言う、「角福総裁選」での勝利である。この総裁選は、「金力(カネの力)の差」との声もあったが、結局は次のような田中の「政治観」と「知力」の勝利とも言えたのだった。

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