実は頼朝以上の大器だった?石橋山の合戦で頼朝を見逃した大庭景親の壮大な戦略スケール【下】 (5/5ページ)

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そして3日後の10月26日、固瀬河(かたせがわ。現:神奈川県藤沢市)のほとりで兄・懐島太郎景義(ふところじまの たろうかげよし。合戦前から頼朝公に臣従していた)に斬られ、景親の首級は梟首(きょうしゅ。さらし首)にされたのでした。

頼朝公は「自分の弟を斬らせる」ことで景義の忠誠を試すと共に、景親には「自分の兄に斬られる」無念さを味わわせることで、石橋山の屈辱を晴らそうとしたのかも知れませんが、たとえ戦略であっても自分を見逃した景親に比べると、ちょっと器が小さいように感じられなくもありません。

歴史にif(もしも)はありませんが、もしも景親の目論み通りに東国平定が成功していたら、武士たちの世はどのように変化していたのか……興味は尽きないところです。

【完】

※参考文献:
五味文彦 編『現代語訳吾妻鏡〈1〉頼朝の挙兵』吉川弘文館、2007年10月
田中幸江 訳『完訳 源平盛衰記 四』勉誠出版、2005年9月
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』2012年8月

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