実は頼朝以上の大器だった?石橋山の合戦で頼朝を見逃した大庭景親の壮大な戦略スケール【下】 (3/5ページ)

Japaaan

以上の理由により、景親が頼朝公を見逃した可能性が十分に考えられる訳ですが、それではなぜ、景親は頼朝公を見逃したのでしょうか。

あえて頼朝公を泳がせた?景親の戦略スケール

景親が頼朝公を見逃す理由はただ一つ。

「今、ここで頼朝に死なれては都合が悪い」

それは解るのですが、景親にとってどう都合が悪いのでしょうか。さまざまな可能性を考える手がかりとなるのは「生き延びた頼朝は、どのような行動をとるか」という着眼点。

石橋山の窮地から脱出した頼朝公は、どうにかして安全地帯(自分を支援してくれる武士団の勢力圏)へ逃げ込もうとするでしょう。

現地ですんなり受け入れて貰えればいいのですが、天下の平家政権を敵に回した頼朝公の挙兵は「ネズミが富士山に挑むような暴挙」でもあり、そう簡単に支持は得られない筈。

「征くぞ、源氏再興の正念場じゃ!」頼朝公の挙兵に呼応した相州の雄・三浦義明と義澄父子。Wikipediaより。

それでも「武門の棟梁たる源氏の嫡流ブランド(復活願望)」や「驕り高ぶる平家政権への反感」から頼朝公に味方する物好き?は一定数存在するため、彼らは頼朝公を支持するべく旗色を鮮明にするでしょう。

頼朝公があちこち逃げ回り、あるいは広く支援を呼びかけることによって、坂東ひいては東国じゅうの武士団が「平家派か、頼朝派か」の決断を迫られることになります。

こうして「謀叛の可能性(反平家勢力)」を片っ端から炙り出した上で、ことごとく討ち平らげよう……というのが景親の戦略だったのではないでしょうか。

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