実は頼朝以上の大器だった?石橋山の合戦で頼朝を見逃した大庭景親の壮大な戦略スケール【下】 (2/5ページ)
大庭景親(左)が洞を確認したところ、中から二羽の鳩が飛び立った。小国政「石橋山の朽木に霊鳩頼朝を助く」安政二1896年
景親は『吾妻鏡』の世界ほど景時を信用しておらず(頼朝公との内通を疑っており)、自分でも確かめたところ、弓の先端に鎧の袖が当たった感触を確認しています。
鎧の袖は部位によって糸、革、鉄片と材質が組み合わされていますが、手探りでも「鎧の袖だ」と判ったということは、弓の先端が当たったのは高確率で鉄片部分と考えられます。
つまり「この洞の中に人工物がある≒それを身に着けた人間がいる」であろうことが直感的に把握できた訳です(仮に置いてあっただけにしても、本気で頼朝公を捕らえるつもりなら、事実確認のため中へ入る筈です)。
加えて洞の中から二羽の鳩が飛び出しましたが、鳩は源氏の氏神である八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の使いであり、ここに八幡大菩薩の加護を受けた者=頼朝公がいる、何よりの証拠と言えるでしょう。
にもかかわらず、景親は「野鳥が潜んでいたような場所だから、よもや頼朝が隠れていよう筈もあるまい」と周囲に言い聞かせ、結局は見逃すことにしたのでした。