長嶋&王、愛と憎しみの「60年ライバル秘話」 (2/3ページ)

日刊大衆

(以下、文中=敬称略)

 立教大学に入学した長嶋は、そこで砂押邦信監督と出会い、才能を開花させる。

「“鬼の砂押”の名はダテじゃなく、とにかく選手には厳しい練習を課した。この“砂押流”に対して、部員らが反旗を翻したんです。中心になったのは、立大卒業後に南海に行く大沢啓二でした」(ベテラン記者)

 砂押監督は特に長嶋に過酷な練習を与え、しごき抜いた。昭和30年代の運動部は、現在とは比べものにならないくらい練習が激しかったが、砂押の特訓は当時としても“地獄”だった。

■月夜のノックの真相

 いまだに伝説として語り継がれているのが、「月夜のノック」だろう。寮での夕食が終わり、部員がリラックスできる時間に、長嶋は一人、グラウンドに連れて行かれた。

 当時の立大のグラウンドは、閑静な住宅地の中にあった。もちろん、ナイター設備などない。真っ暗なグラウンドで砂押自らバットを握ると、長嶋にノックし、徹底的に守備練習を行わせた。暗闇でも見えるようにと、ボールには石灰をまぶしていたというが、効果は気休め程度だろう。

「グラブに頼るな! 体で捕りにいけ!」

 砂押の怒声と長嶋の息遣いが、静寂に包まれたグラウンドに響いた。肩で息をする長嶋は、最後はやけくそになるとグラブを地面に投げつけ、素手でノックを受けたという。連日の特訓で、長嶋の体はアザだらけになった。

 この「月夜のノック」により、長嶋の感覚は研ぎ澄まされていき、ついには暗闇で捕球ができるようになったという。プロ入り後、長嶋はこう語っている。

「要は勘ですよ。バットにボールが当たってから、目の前に来るまでの時間が分かるようになった。おかげで、守備に必要な“心の準備”が身についたんです」山籠りした剣豪が、月明かりで必殺の剣に開眼したような話である。

 もう一つの特別練習は、砂押監督の自宅で行われた。長嶋と、1年先輩の矢頭高雄(立大から大映入り)、竹島本明は、夕食後に池袋にあった砂押の自宅に呼ばれ、延々と素振りをさせられた。

「長嶋&王、愛と憎しみの「60年ライバル秘話」」のページです。デイリーニュースオンラインは、王貞治山本昌藤浪晋太郎長嶋茂雄プロ野球エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る