台東区浅草の観光名所である浅草寺の「西仏板碑」について調べてみた (4/5ページ)

心に残る家族葬

更に義朝の息子・頼朝(1147〜1199)は治承4(1180)年に、平氏追討の戦勝祈願を行なってもいる。

■原宿駅をどう残してどう新しくするか

冒頭に紹介した、大正13(1942)年に建てられた旧原宿駅の木造駅舎だが、火災や地震対策を十分に行なった上で、できることなら、浅草寺に残る「西仏の板碑」のように、きちんと補強されながら、後世に保存して欲しいものである。「駅」としての現実的な役割を終えてしまったものであっても、その古い駅舎は、竹下通りに繰り出す多くの若者たちを見送り、場所の空気を十分満喫した後、自分の家に戻る彼らを迎え入れていたのだ。かつての若者たち、そして今の若者たちにとっても、日本の最先端の文化やファッションのモニュメントであり続けている原宿だからこそ、その駅が「役目を終えた」からと、混雑緩和や利便性・快適性のために建て替えられた鉄筋の建物に取って代わるのは、あまりにも寂しいことだ。それは建物や板碑などの「もの」に限らず、「人」も同じだ。

■最後に・・・

「もの」を大事にできない人は、「人」も大事にはできない。わかり切っている、当たり前のことだけに、「人」はすっかり忘れてしまっている。たとえ欠け、ぽっきりと折れてしまった、「何だかよくわからない」古びた板碑に対してすら、大切に取り扱った、浅草寺に詣でていた江戸の人々の気持ちを、「原宿」ならではの新しくきらびやかなものに心奪われがちな我々だからこそ、思い直してみるべきではないだろうか。

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