長嶋茂雄と王貞治…愛と憎しみのライバル秘話 (2/5ページ)

日刊大衆

「息子さんは、立教に行けば必ず大学を代表するバッターになれると思います」

 最後に小野が“殺し文句”を放つと、長嶋の父親は、「立教さんの件は、じっくり考えてみます」と返事をした。

 手応えを感じた小野は、長嶋が高校から帰宅するのを待たずに長嶋家を後にし、東長崎(東京都豊島区)の立大野球部の寮に飛んで行った。小野は砂押監督に一部始終を報告し、今後の長嶋家との交渉を立教のマネージャーに託した。

 実は小野は、長嶋が立教に入学するまで一度も対面したことはなかった。プレーも見ていなかった。それにもかかわらず佐倉まで出向いたのは、情報網にしていた新聞記者のアドバイスがあった。「関東に、プロや大学スカウトが目をつけていない有力な選手はいないか?」

 小野マネージャーが無名の選手を探していたのには、理由がある。富士製鐵の野球部は室蘭が拠点だった。当時は交通の便がよくなかったため、引く手あまたの有名高校球児たちは、北海道に行くことに二の足を踏むと思ったからだ。そんな思惑で選手を調査していたところ、「南関東地区予選で、すごいホームランを打った長嶋という選手がいる」という情報が、懇意にしていた新聞記者から入ったのだ。「体格もよく、バネのある動きをする」 こんな触れ込みだった。

■立教大学に入学、運命の出会い

 小野の訪問から数日がたったある日、長嶋のもとに、「うち(立教)の寮とグラウンドを見に来ないか」と、連絡があった。立大の山崎清雄マネージャーからだった。長嶋は誘いに応じ、南長崎を訪れたが、立大に入ろうとは考えてはいなかったという。

「君が長嶋君か!」 グラウンドに行くと、砂押監督が笑顔で歩み寄ってきた。長嶋は学生服姿で、手ぶらで見学に来ていたが、なぜか、新品の立教のユニフォームとスパイクが用意されていた。サイズも長嶋にピッタリだった。「どうやって、スパイクのサイズまで調べたんだろうね(笑)とは、後年、長嶋が親しい記者に漏らした弁。グラウンドでは紅白戦が行われていた。ゲームを眺めていた長嶋に砂押監督は、こう言った。「よし、君も打ってみろ」 長嶋は一瞬面食らったが、用意されていたユニフォームに着替え、打席に入った。

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