400年前、仙台城下に張られた”六芒星の結界”は今も生きているのか?その2 (3/6ページ)
一か所広瀬川を渡らねばなりませんが、ここには「角五郎(つのごろう)」さんという橋渡しがいました。今も町名として残っています。
毎年1月に、境内で正月飾りを焼きご神火にあたる「どんと祭」が有名で、仙台の真冬の風物詩となっています。
イラスト:仙台城下町百景
仙台城本丸 1603慶長5年(1600)に城の縄張り始め、翌年土木工事開始、慶長8年(1603)にわたまし式を行ったとあり、大広間を除きほぼ完成したとされます。
この場所は、もともと国分氏(政宗の叔父)の支城がありました。国分氏はそれまでこの一帯の領主でしたが、政宗により支配下に置かれ、国分町に住まわせられたのです。
城は、天守を持たない山城ですが、崖にせり出した「懸け造」という建物がありました。政宗公が生まれ育った米沢城と、青年期を過ごした岩出山城にも「懸け造」があったという記録があります。伊達氏にとっては天守に匹敵するほどの重要な建造物であったと推測します。
青葉山にあるので別名青葉城と呼ばれています。*敷地内に護国神社がありますが、ここは戦争で亡くなった英霊を祀っています。