長嶋茂雄と王貞治を育てた「母の愛」感涙秘話

日刊大衆

画像はイメージです
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〈いま おれがあるのも おふくろのお陰だ おふくろのためにも(中略)絶対勝つ〉

 これは、長嶋茂雄氏(84)が雑誌『マルコ・ポーロ』(1994年12月号)に寄
せた、亡き母・チヨさんへの手紙の一節だ。

「この年の7月、チヨさんは他界されましたが、当時、巨人監督を務めていたミスターはチームへの影響を考えて当初、これを公にはしなかった。結果、日本一に輝きましたが、その胸には期するものがあったんでしょう」(ベテラン記者)

 そもそも、野球選手・長嶋茂雄の出発点は“母親の愛情”だった。

「少年時代、ミスターの野球道具はチヨさんのお手製。ボールもグラブも、家にある布きれで、徹夜で作ってくれたそうです。ボールがうまく丸くならず、針で手を血だらけにしてまで、こしらえていたとか」(前同)

 そんな長嶋氏は、立教大学入学直後に父・利さんが他界した際、実は一度、野球を諦めようとしている。

「学校を辞めて働くというミスターに、チヨさんは“途中でやめるな!”と激しく怒り、思いとどまらせた。そして、自分が行商することで長嶋家の家計を支えたそうです」(同)

 のちのスーパースターは、“母の叱咤激励”で生まれたとも言えるだろう。

 そして長嶋氏の盟友・王貞治氏(79)もまた、母の声援を背に成長した選手だ。

「母・登美さんは、“野球選手・王貞治”の大ファン。ご主人の仕福さんが亡くなった後も、後楽園球場や東京ドームに、一人でよく足を運んでいましたね」(旧知の元記者)

 足繁く通う登美さんは、なんと電車の回数券まで持っていたという。

「球場に来てもロッカールームに立ち寄ることは一切なく、一人、スタンドで観戦。ときには、自分の息子に強烈なヤジを飛ばしていました(笑)」(前同)

 現在発売中の『週刊大衆』5月11・18日号では、このほかにも野球に関するニュースを多く掲載している。

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