実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【完】 (5/6ページ)

Japaaan

五郎の馴染みであったお栄は、ちょうど小用に立っていて助かったそうですが、一説にはお栄と馴染みだった原田左之助が助けたとも、あるいは最初から(原田の属する試衛館派に通じて)刺客を手引きしていたとも考えられています。

エピローグ・受け継がれる尊皇報国の志

それにしても、芹沢がただ斬り殺されているだけなのに対して、五郎の死体が斬首されているのは異常に感じられます。

わざわざ首を斬り落としたいほどに憎まれていたのか、あるいはよっぽど(何度刺しても斬っても)死ななかったのか、もし後者だとするなら、芹沢を守りたい執念がそうさせたのかも知れません。

「先生……七生報国(※)の教え……必ず、守ります……」

(※しちしょうほうこく。七度生まれ変わっても国に報いる=奉公する精神)

翌朝、何食わぬ顔で帰ってきた近藤勇らは屯所の惨状にわざとらしく驚き、芹沢の死を大げさに嘆き悲しみました。

「これは長州藩の仕業に違いない!そうに決まっている!(棒)」

「尽忠報国の士である芹沢先生のご遺志を、我々が引き継ごうではないか!(棒)」

かくして文久三1863年9月18日、芹沢と五郎の葬儀が盛大に執り行われ、壬生寺(現:京都府京都市)に葬られました。

「先生、すみません……」水戸派最後の一人・野口健司の切腹(イメージ)。

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