決死の覚悟で恋人を救出!満洲馬賊の女親分「満洲お菊」こと山本菊子の生涯【下】 (4/4ページ)
彼女の発行した「通行手形(※)」は、他の馬賊が発行する手形よりも信用が高かったそうで、その勢力の強さが窺われます。
(※)街道の通行者は馬賊に通行手形を発行してもらい、手数料を支払うことで、その通行者は身柄および荷物の安全が保障されました。
エピローグその後、菊子は孫花亭と共に暮らしましたが、大正十二1923年4月にアムールの河口・ニコラエフスク(現:ニコラエフスク・ナ・アムーレ)で39歳の生涯に幕を下ろします。
海の向こうには樺太が、その向こうには祖国・日本がある……でも、それは菊子が帰るべき場所ではなく、大切な孫花亭と生きたこの大地こそが、彼女の故郷となっていた事でしょう。
又の名を「西伯利亞阿菊(シベリアお菊)」「大陸阿菊(大陸お菊)」などと親しまれる山本菊子の伝説は、現代でもシベリア・満洲の地に受け継がれています。
【完】
※参考資料
「歴史街道 2007年6月号 満州と満鉄の真実」PHP研究所、2007年
祖田浩一 監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1998年
渡辺龍策『馬賊 日中戦争史の側面』中公新書、1964年
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