モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指したバボージャブ将軍の戦い【一】 (2/6ページ)
今回はそんな英雄の一人であるバボージャブ将軍(1875~1916)のエピソードを紹介したいと思います。
清国に支配されていたモンゴル族の青年、日清戦争の勝利に希望を見出すバボージャブ(巴布扎布)は清朝末期の光緒元1875年、内蒙古のジョソト(卓索図)盟トゥメト(土黙特)左翼旗、現在の中国遼寧省阜新市に生まれます。
バボージャブ(巴布扎布、1875~1916)Wikipediaより。
19世紀末のモンゴル族は、かつての大帝国もすっかり影を潜めてその版図を縮小。北はロシア帝国、南は清朝に脅かされながら、南北両大国の緩衝地帯として命脈を保っている状態でした。
こと南モンゴル(内蒙古)は万里の長城を越えて清国から多数の農民が流入し、強引に農耕開拓を行ったため、すっかり砂漠化が進み、国土は荒れ果ててしまいます。
(※この地域は元々降水量が少なく、農耕には不向きでした。わずかに生育する草木を家畜に食べさせることで人間が摂取できる栄養源に変換する遊牧生活は、厳しい自然に生きるモンゴル人たちの知恵だったのです)
自然の恩恵を授かる遊牧生活を維持できなくなったのか、バボージャブが10歳になった光緒十1885年ごろ、一家は彰武県大冷営子(同市内)に移住。