モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指したバボージャブ将軍の戦い【一】 (4/6ページ)
日露戦争勃発!花大人こと花田仲之助に見い出され、満洲義軍に参加を決意
そんな昂揚感の中で結婚したバボージャブは長男・ノンナイジャブ(濃乃扎布)と次男・ガンジョールジャブ(甘珠爾扎布)を授かり、貧しいながらも幸せな家庭を築き上げていた光緒二十九1904年、今度は日本がロシアと開戦したのでした。
「皇国の興廃はこの一戦にあり……」
後に日本海の決戦(対馬沖海戦。明治三十八1905年5月26~27日)に臨んだ日本の連合艦隊司令長官・東郷平八郎(とうごう へいはちろう)提督が、「もう後がない」と不退転の覚悟でZ旗を揚げたこの戦いは、誰の眼にも勝算なしと見られていました。
日露戦争の風刺画。大きな熊(=ロシア)と組み合う明治天皇(=日本)。周囲で欧米列強が生暖かく見守っている。
十年前の日清戦争では「眠っていたのは、獅子ではなくて豚だった」というオチがついたからどうにか勝てたものの、今度は冬眠明けの気が立ったヒグマ。何より15世紀の大航海時代からこの数百年、有色人種が白人国家に勝てた例(ためし)はありません。