16歳とは思えない風格!悲劇のイケメン貴公子・平敦盛の美しすぎる最期【上】 (2/4ページ)

Japaaan

笛を嗜む少年敦盛(イメージ)。

後に無官大夫(むかんのたいふ)と呼ばれ、従五位下(じゅごいのげ)でありながら官職を持っていません(※)でしたが、生涯ずっとなかった訳ではなく、6歳になった承安四1174年から10歳になる治承二1178年までの約4年間、若狭守(わかさのかみ。現:福井県西部の国司)に任じられています。

(※)昔の貴族には、ランクを示す位階(いかい)と役割を示す官職があり(まとめて官位と呼びます)、ランクは高くても仕事がない貴族も少なからずいました。ちなみに、官位が五位以上の者を殿上人(てんじょうびと)と言い、内裏への昇殿が許される一人前の貴族と見なされました。

いくら敦盛が利発であっても、流石に6歳~10歳では満足に政治も出来ないでしょうから、実際の任国には代官を派遣していたのでしょうが、若狭守の後はそのまま生涯無官となっています。

平家一門の敦盛であれば、「平家に非(あら)ずんば人に非ず(意訳:平家一門以外は人間じゃない)」とまで言われる権力の絶頂にあった伯父さん(清盛)のコネでどんな官職でも貰えそうなものですが、その理由については謎となっています。

いざ初陣!一ノ谷の合戦で、熊谷次郎直実と一騎打ち!

そんな敦盛が初陣を飾ったのは、16歳となった元暦元1184年2月7日。後世「一ノ谷の合戦」と呼ばれる激戦に、悲壮な覚悟(※)で臨んだことでしょう。

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