伊達政宗と繰り広げた骨肉の争い!戦国時代の女城主・阿南姫の生涯【1/4】 (3/4ページ)
(※こういうヒロインの立場に憧れる女性は少なくなさそうですが、いざ当事者になったらなったで、実に迷惑千万でしょうね)
ともあれ死闘を繰り広げた末に夢を勝ち取った(買い取った?)晴宗ですが、盃を交わした重隆より、条件が一つ提示されました。
「男子が生まれたら、優先的に岩城家の養子とすること!」
そんな経緯があって長男の親隆は祖父・重隆の養子に出され、次男の輝宗が伊達の家督を継ぐことになるのですが、それが後に、阿南姫を兄(岩城氏)と弟(伊達氏)の板挟みに追い込むことになります。
長男・平四郎を授かるも……蘆名盛氏の人質にとられるさて、母ゆずりの美貌を誇ったであろう阿南姫はすくすくと成長し、やがて須賀川(すかがわ。現:福島県須賀川市)城主の二階堂盛義(にかいどう もりよし)に正室として嫁ぎました。
「ちょっと線が細いようだけれど、お優しくて聡明で、申し分ない方だわ」
盛義は武勇よりも文雅を好むインテリ気質の草食系だったそうで、夫婦仲は円満。阿南姫は21歳になった永禄四1561年、長男・平四郎(へいしろう)を授かります。
「おぉ……阿南よ、でかした!」
家族が増えた喜びを分かち合い、ますます円満な阿南&盛義夫婦でしたが、その幸せは長く続きませんでした。
その頃、二階堂一族は陸奥国黒川(現:福島県会津若松市)城主の蘆名盛氏(あしな もりうじ)と抗争を繰り広げており、永禄八1565年に降伏を余儀なくされたのです。